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さまざまな分野で活躍する、その道の達人を紹介

仕事人第3回

仕事人 File No.3


財津 ユカ

財津 ユカ  Zaitsu Yuka


「オフィス・エイツ 代表取締役」

地元の短大を卒業後、銀行勤めを経てMCの世界に入る。

2004年7月、リポーター・DJ・司会者・キャスター・各種講師を抱えるプロダクションの社長となる。


仕事人第3回目に登場いただいくのは、財津ユカ(ざいつ ゆか)さんです。7月15日福岡大学で行なわれた仕事人講座には、多くの学生が参加し、現役フリーアナウンサーにして一国一城の主である財津さんの、これまでの道のり、人生論にも踏み込んだ仕事人講座です。

 

生死の境をさまよった交通事故

楽しい学生生活の途中、トラックに巻き込まれる交通事故に遭う。内臓破裂で瀕死の状態。医者は、助かる見込みは低いし、良くても脳に障害が残ると診断した。19歳の時だった。女の子の体を、見込みの無い手術で切り刻むこともないという医者に親は諦めなかった。本人もうわごとで「死にたくない」と繰り返した。意識などあろうはずもないが、本人いわく、ずっと意識はあった。死にたくないとずっとずっと考えていたという。結果、腎臓をひとつ失いはしたが奇跡的に後遺症も無く一命を取り留めて、今がある。

 

大量出血に伴い、限界までの輸血により他人の血液が自分を支配した。自分の血液が再生するまでの間、本来アグレッシブな個性がなりを潜めていたという。その間に「銀行に就職」という、堅実で当時誰にも喜ばれる、中でもとりわけ、親を安心させられる道を選んだ。

 

回復に伴い、本来の自分が顔を覗かせてきた中、銀行の仕事にやり甲斐を見出せないでいる自分と、「やりたいこと」が明確に判っている自分を感じる。

 

やりたいことをやるために

「さかのぼって考えると、学生時代から文化祭やイベントなどで司会をしたり、人前で喋ることが好きだったんです。もっとさかのぼると、小学生の頃の夢がアナウンサーだったんですね」

 

その頃に相談した先輩から「キャリアや収入がある程度高くなってくると、新しい世界に踏み出すことが怖くなるし、年齢を重ねることがハンデになる」との助言に後押しされ、一年で銀行を辞める。人前で話すためのスクールに通い、そのスクールを運営している事務所に登録。最初の仕事はスーパーでの試食販売だった。大見得を切って辞めてこれか、とがっかりするも、今は仕事を選べる立場にないと思い直し、与えられた仕事に意味を見出そうとした。

 

話す仕事は相手や場所を選べない。その練習だと思うようにした。スーパーなら子供からお年寄りまで幅広く出会える。持ち前の前向きな性格が道を開いたと言っていいだろう。

 

人との繋がり

決して「やりたい仕事」ではなかった試食販売だが、前向きに頑張った結果、担当した飲料が売り上げNO.1になり、それのお陰ばかりとは言い切れないが事務所も認めてくれたのであろう、事務所内でも異例の出世といえるラジオ番組のレギュラーの仕事を与えられる。

 

ラジオの仕事にも慣れ、TVの世界にステップアップしたいと思うものの方法が判らない。そんな時、ラジオの知り合いに呼ばれて行った地方のお祭り会場で、たまたまTV関係者と知り合うことになる。その人から制作会社を紹介され自分で売り込みに行く。オーディション代わりにまたまた田舎のお祭りへ。そこで司会を任され、失敗はあったものの無事に合格し、新たな道が開けた。

 

この時に、人との繋がりの大切さを思い知る。そしてようやく、目先のことを見るのに精一杯だった自分が、3年後、5年後、10年後のことを考えられるようになった。同じ頃、事務所にとって自分は商品でしかないんだと思うことが起こる。「八百屋で言えば野菜。でも私は考える野菜なんです」そんなの生意気だ、この世界ではやっていけないと一蹴される。そんな中、「事務所と仕事しているんじゃない。財津ユカと仕事してるんだ」と言ってくれる人たちに救われて、独立するタイミングなのかな、と思ったという。

 

マイナスの経験

「かいつまんで話しているから、なんだかんだ言ってトントン拍子なんじゃないの?って思われるかも知れませんね。でも決してそんなことはないんです」浮き沈みの激しい世界、収入も、ある時はいいが急にゼロになることだってある。ずっとコンビニのバイトを続けていた。オーディションは10回のうち1回受かったらいい方。落ちることには慣れてしまったし、交通事故で一度死ぬ目にあってから、あれ以上の経験はなかなかない。

 

もしかしたら「死ぬ運命」だったのを自分の力で「生きる運命」に変えたのかもしれない。自分にはそれだけの力があるんだと信じること。それが支えになっているのは間違いない。

 

自分は決してエリートではない。事故によって同級生たちから出遅れてしまったと感じたし、腎臓もひとつ失った。失くしたものはあるが、得たものも多いと思っている。マイナスの経験があるからこそできること、事務所の子たちに伝えられることがあると信じている。

 

夢の叶え方にはいくつもの道と、その夢自体に幅がある。エリートコースを歩めないと思ってもそこで諦めるのではなく、別のルートを探してみたらいい。「私は落ちこぼれコースを歩んできたけど、そうやって夢を叶えましたよ」そう言って笑う彼女の笑顔は実に清々しい。

 

さすがは「喋りのプロ」と言える滑舌の良さと、通る声、そして素敵な笑顔。

 

財津さんの魅力に学生の皆さんも引き込まれていた様子で、終了後には握手を求める人(特に男子学生)も多く見られました。自分を信じること、何よりやりたいことをやめないことの大切さを知ることのできた講義でした。