大野尚の沸騰コラム

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「理想郷」  

「理想郷」    2017年11月号

 

3泊6日の駆け足で3人を引きつれてイタリアに行ってきた。

大きな目的は「ブランド」の意味と意義と圧倒的な存在感を

肌身で知る事。

・・・もう一つ、現在、世界遺産となっている「村」を

訪ねる事だった。

 

その村とはミラノから車で約1時間弱のロンバルディア州

ベルガモ県カプリアーテ・サン・ジェルヴァージオと言う

コムーネ(共同体)にある労働者の為に造られたものである。

 

イタリア語では「Crespi d‘Adda」=

「アッダ川のクレスピ」を意味する。その名の通り19世紀の

企業家クリストフォロ・べニーニョ・クレスピがアッダ川と

ブレンボ川が合流する三角州に建設したものである。

 

そもそも、なぜ、企業家クレスピは労働者の為の理想郷を

造ったのか?

 

・・・様々な資料やイタリア人の友人から聞き取ると、

18世紀後半にイギリスを起点として産業革命が世界各地へ

広がり、そこで起こった労働者と資本家との激しい対立が起因で

あることが分かった。

資本家=「持てる物」と、「持たざる者」=労働者、の対立が

深刻な経済問題となり、持たざる者である労働者階級の貧困が進み

社会に根を張り治安も悪化し、大きな社会不安を創り出したと

考えたクレスピさんは、「よし!労使対立がなく、働く人が

生き生きと楽しく生活出来る町を創ろう!」と決心したのである。

 

18世紀の後半に紡績工場を造り、そこに先ずは電力確保のための

水力発電所を造った。

エコなエネルギーで街を汚さず、環境を重視することで

労働者の健康面・精神面を整え、効率的な導線管理・先進的な

装置導入により近代的な設備を導入し生産性を高めるだけではなく、

安全衛生に於いても労働者配慮を忘れなかった。

 

・・・町を歩くと共同の入浴場を見る事が出来た。

仕事で汚れた身体・疲れた体を癒したのであろう。

 

更に、クレスピは働く環境だけではなく、生活する場も整備した

のである。家庭菜園がある一戸建ての家・学校・病院・そして

教会を造る事で生活環境も整えたのである。

そのころ、世界各地では急激な工業化の波で労働争議が

勃発していたが、クレスピ村では50年間に渡り一度も

起きなかった。

 

・・・1929年に起こった世界大恐慌の荒波に揉まれた時代も

一人も解雇せずに、細々と事業を続けたが終に倒産してしまった。

今は人手に渡り、工場は閉鎖されているが、今でも住宅には、

当時の労働者の子孫が幾人か住み続けている。

 

資本主義世界のユートピアを造りあげたクレスピ。

その村は美しい並木通りに面して工場群の建物と一戸建ての住宅が

配列されている。

・・・通りを抜ける風は肌寒くもなく、心地良かった。

働く人が不幸な会社は長続きしない。

大恐慌には負けてしまったが、当時の彼らの幸せな風は

今も吹き続けている。