大野尚の沸騰コラム

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「不便な生き方」  

不便な生き方    2018年1月号

 

若いころイタリアで生活をしていた。

最初に下宿したところは、パパと息子が工場労働者で

ママは専業主婦。住まいも一般的な集合住宅で収入も

標準的な家庭であったと思う。

 

彼ら(パパと息子)は朝の5時には起きて一人で夫々が

朝食を取り6時には職場に向かっていた。

 

ママも数人の下宿人を抱えているため、朝6時には起きだし

洗濯・掃除・僕ら下宿人の為の朝食の準備に買出しを行い、

昼にはパパと息子が昼食の為に一時帰宅するのでその準備、

また、掃除に洗濯、15時にエスプレッソコーヒーと

甘めのドルチェで一息ついて夕食の準備を始める。

本当に朝から晩まで目が回る忙しさでテキパキと働いていた。

 

僕ら下宿人は朝から夕方までは学校へ行き、

終われば友人たちとカフェでお喋り。

とぼとぼ歩きながらのウィンドショッピングで時間を潰し、

19時の晩飯までの時間はトワイライトブルーの

暮れなずむ街並みに溶け込んで過ごしていた。

 

紙パックの赤ワインで乾杯「サルーテ」で始まる夕食は、

下宿人の僕らも家族の一員として、

「あぁだ!こうだ!何がどうした!」政治から宗教、

エロ話に至る四方山名話に興じ、度が過ぎるとママが怒りだし、

パパは箒の柄で小突かれていた。

 

小柄で如何にもイタリア人的体系の「太っちょ」の短気で

お人よしの夫婦の楽しみは週末の山小屋での滞在。

 

一度、週末の山小屋に誘われたことがある。

フィレンツエの自宅アパートから車で4時間。

なだらかな丘陵地帯の小さな村を幾つも通り越したところに

その小屋はあった。

・・・ママもパパも、いつも僕らに「ポーベロミー/貧しい私」

と呪文の様に繰り返し言っていたので、

粗末な小屋を想像していたが、確かに古いが100坪越えの

石造りの中々の邸宅である。

 

人口500人の小さな村の小高い丘の上に立つその家の周りには

数件の家があるだけ、見渡せばトスカーナの丘陵にオリーブの

木々が点在し、放牧された羊や山羊・牛が遊ぶ。

遥か彼方を見渡しても青い空に白い雲が広がるだけ。

村には一軒のバルと教会しかない。

約百数十軒の家々はマロニエ木立の中にあって

山小屋?風邸宅の窓からは埋もれてしまっている。

 

山小屋邸宅には水道はもちろん無い!

庭の隅の井戸に水くみに行く。何度も行く。トイレも外にあった。

寒くても雨が降っても外に行く。テレビの電波も届かない。

電話も村に数台だけ、必要があればバルの電話を使わせてもらう。

暖房は薪を割って暖炉で燃やす。パチパチと弾ける音と

薪の燃える香に癒される。

ミルクも野菜も肉も近所で分け合う安心安全な地産地消だ。

 

村に一軒のバルは人々のコミュニティを形成し全ての情報が

集まっている。お菓子、生ハム、パンにチーズはここで手に入る。

日曜日に礼拝し、月曜から金曜まで農作業に従事する。

外からの情報は頼りない電波で時々途切れる事もあるラジオが頼りだ。

 

・・・そんな何にもない「場」に早く住みたい。

ここで人生を終えたい。と切に語る下宿屋の夫婦。

 

不便こそ生きがいを生み、多くの「困った」は

知恵と工夫を生み出す遣り甲斐となると教えてくれた。

当時は退屈でやる事がない「その場」を持て余していたが

・・・40年後に「なるほど」

・・・不便こそ最高に愉しめる事だと理解する。